アンドレ・ロート | |
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「身繕いする裸婦」
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アンドレ・ロート (1885-1962) フランスのボルドーに生れる。装飾木彫家のもとで働いていたが、1906 年頃にゴーギャンの芸術とアフリカ彫刻に衝撃的感銘を受け、 正規の絵画の訓練を受ける。1906 年にパリに出、サロン・ドートンヌやアンデパンダン展に出品した。 1911 年にピュトーのキュビスト・グループに参加し、いわゆる「セザンヌ的」キュビスムの造形概念で風景や人物を処理する。 第一時大戦後、ロジェ・ド・ラ・フレネーとともに修正キュビスムともいうべきネオ・キュビスムを唱えた。 ロートは「全く知的な芸術」も「全く感覚的な芸術」も不完全なものとし、その両極端である印象主義とキュビスムの本質を融合した芸術を目指した。 《ラグビー》(1917年、国立近代美術館、パリ)はこの時代の代表作。また美術教育にも意欲的に取り組み、1922年にアカデミー・モンパルナスを 開設し、1952年にはリオデジャネイロにその分校を設立した。 |